【あの日】
町よりも一段高い場所を気仙沼線の線路が走っていました。気仙沼線は町民の通勤通学の足でした。
大きな揺れの後、私たちはすぐに線路を登り更に上の伊里前中学校を目指しました。全員無事に避難出来ましたが、津波は瞬く間に線路を越えて町をのみ込みました。目の前を木造の家が土煙をもうもうと上げて、バリバリと音を立てながら流れて行く様子はまるで映画を見ているようで現実とは思えませんでした。
利用者の皆さんが怯え始めたので、避難所の外が見えない所まで移動し夜を明かしました。翌朝、変わり果てた町の風景を目にして「こんなに海が近かったのか」と動揺しました。
活動場所の「歌津町保健センター」と「気仙沼線」
【居場所】
保健センターが全損したあとは公民館を転々として活動していましたが、町からプレハブを提供して頂くことになり、トイレや水まわりのライフラインの整備はありませんでしたが自分達の居場所が出来たことにホッとしたのを覚えています。
【復興】
震災後の人事異動で当時と違う事業所で勤務する職員も多くなりましたが、被災した場所で受けた『人の恩』や、ボランティアに入って下さった全国の皆様のご支援は一生忘れることはありません。本当にありがとうございました。南三陸町の復興計画では、平成26年末に新設される(予定)の保健センターに「風の里」が入ることになっています。
【就労に向けて】
震災後、障害者枠での就職やパート就労が決まった方が数名います。受け入れ先の企業の皆様の温かいご理解とご支援のお蔭で実現した社会参加です。“自らの力で工賃を得る”ことが自信につながり、会うたびに成長が感じられる方もいて、残されたメンバーの就労への意欲を更に高めています。
きっかけをくれたのは、県内外の皆様の復興支援で出して下さった「工賃の高い作業」のご依頼でした。被災して福祉仮設を利用しながら仮設の「風の里」に通うという、公私共に不自由な暮らしの中で「工賃を得る喜び」は利用者の通所率を上げ、就労への意欲を高めて行きました。
ここまで支えて下さいました全国の皆様、今後も引き続きご支援の作業を依頼して下さる皆様に一同心から感謝申し上げます。南三陸町の復興にはまだまだ多くの時間が必要です。今後も、広く「作業」を求めている現実もこの場を借りてご報告させて頂きます。今後とも宜しくお願い申し上げます。