2010.12.1【きらら女川】は町の沿岸部に産声を上げました。女川町で就労支援事業所が出来るのは初めてだということもあり、当時利用者は4名でのスタートとなりました。
爆発的な事業所利用へのニーズがあり、またたく間に利用者は10名を超え、もう少し事業を拡大しようと新たな拠点の改修計画を立てました。
そして改修を終え、設備を整え引っ越しを始めたのが、まさしく2011.3.11震災当日の朝のことでした。
きらら女川は、沿岸部に位置していたため、それまで活動していた事業所、そしてその引っ越し先も全て流出してしまいました。
この時から利用者の内、2名が未だ行方不明のままとなっています。
震災前は、かりんとうの製造(一部施設外就労)に取り組んでおり、工賃は段階的に時間給300円から600円となっていました。震災は「商品を全国に届けてもっと稼ぐぞ」とみんな張り切っていた矢先の出来事でした。
津波の被害があった場所には規制がかかり、また平地の少ない女川の地形により事業所再建の目途が立たず 、利用者は2年あまりの間、在宅生活を余儀なくされました。
やっと再建の目途が立ち、現在かりんとう工場を建設中です。
被災地の事情から、工事の遅れがありますが熱くなるころには新しい工房での活動を開始できる予定です。
それまでの間、仮設プレハブで卓上手織機での製作活動や軽作業を頂きながら、がんばります。
震災前活動していた場所は、地盤沈下の影響で海の中となっています
地震発生後、みんなで高台にある女川町立病院に避難しました
現在、活動拠点としている仮設事業所
建設中の新工房(2013.6月頃)
2013.7.25 新しい工房が無事に完成しました。