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全国からの支援に感謝致します

社会福祉法人共生福祉会 仙台ワークキャンパス/(特非)みやぎセルプ協働受注センター
園長/会長:市川 義直

事業所種別
多機能型(生活介護、就労継続B型、入所施設)
事業所規模
生活介護:20名、B型30名、就労移行10名
所在地
仙台市太白区袋原5丁目12-1
建物被害
特になし
人的被害
なし
※施設の詳細やMAPの場所は被災時のものです。

会議で仙台中心部にいました

仙台市内のホテルにて14時からの宮城県福祉人材センター運営委員会に出席中でした。大きな揺れの為、会議室のテーブルの下にもぐりながら一刻も早く状況を把握し、施設の利用者の安否を知りたいと思っていました。

初回の大地震が少し弱まったところで会議を中断(解散)し屋外に出ました。すぐに仙台ワークキャンパスに連絡を取ろうとしたが携帯電話は繋がらず、数回試みたが結果は同じで施設や利用者の様子が全く分からない状態でした。一刻も早く施設に戻ろうと思い、宮城県庁の駐車場へ向かいました。しかし駐車場の出入り口は停電の為開かず、待機中に県庁職員が手動で開けてくれたのでやっと車を出すことが出来ました。しかし、すでに仙台市内の道路は信号が止まり大渋滞で動けず、抜け道を探したが結果は同じ。普通30分位のところを5時間掛かって施設へ戻ったのが夜8時でした。真っ暗な中、利用者は名取川の増水、氾濫(津波)を警戒しながら、同じ敷地内のすみれホーム(福祉ホーム)で職員の見守りの中、待機中でした。全員不安な面持ちながら比較的落ち着いていて一安心しました。一方、近隣の住民も施設に集まってきており、施設内に誘導し一夜を明かしました。

利用者を居室に戻し、職員の緊急配備体制を作った後、私は妻も体が不自由な事もあり、様子を見るため一旦帰宅(21時30分頃)。すでに道路の混雑は解消されており、22時頃自宅に到着しました。自宅には娘と妻がいて隣の奥さんが付き添ってくれており、とても有難く思いました。地震発生からこの間、家族とは全く連絡がとれませんでした。

一夜明けてすぐ近くまで津波が来ていたことを知りゾッとしました

津波情報や名取川の水位上昇におびえながら周りに高い場所がない為、やむを得ずその場にとどまっていましたが、一夜明けてすぐ近くまで(約2キロ手前)津波が来ていたことを知りゾッとしました。後になって、テレビでみた自衛隊ヘリの映像をみると、すぐ近くの名取川を津波がものすごい勢いで遡上しており、恐怖を感じました。


※仙台東部道路が津波をせき止めてくれました

通所利用者で帰宅困難者は入所施設内で職員と共に過ごしましたが、十分な寝具等の準備はありませんでした。また、利用者のご家族との連絡は殆ど取れない状態でした。

今でも、今度津波が来たらどこに逃げるかを考えると不安になります。

4月初めに事業所を再開しました

当時の事業(利用者の作業)を再開したのは4月初めでした。利用者も日中活動の再開を心待ちにしていましたが、当園は入所施設を運営しているため作業環境の整備を行うのに並行して利用者の炊き出し(食事提供)に精一杯の状況が続いていました。障害者支援団体JDFによる、みやぎ支援対策本部活動拠点に当園の作業室を提供(約一か月)したので、逆にガソリンや支援物資を頂いたりして助かった面もありますが作業再開はやや遅れました。また、通所利用者の中には自宅が被災した為、入所施設に暫く居た方もいました。

震災後10日程度経った頃から津波で事業所が全壊した「まどか荒浜」に当園ホールを貸し、事業所再開を支援しました。知的障害者と約1年3か月同じ建物で過ごしました。元々当園は身体障害者の施設である為、初めは職員も利用者も戸惑いを感じている様子でしたが、徐々に慣れるにしたがって仲間意識が芽生え、温かく見守っていたようでした。

福祉避難所になる事を受諾しました

その後、仙台市からの依頼があり「福祉避難所」になる事を受諾しました。その関係で地域の避難所運営委員会のメンバーに加えていただき地域との関わりが一層深まったように感じます。

当園は全国社会就労センター協議会の会員だった事もあり、宮城県内で震災直後から全国から届く支援物資の集積・配送基地の役割を果たすことになりました。


※たくさんの救援物資が全国から届きました

大量の物資が届くたび、職員は搬入・搬出の作業を行い、物資を取りに来る事が出来ないエリアには直接配達に行きました。通常業務と並行に行った作業に体力的にもきつい思いもしましたが、全国から寄せられる被災地支援の熱い思いを胸に、「ひとつでも必要なところに必要な物を」と考え活動しました。

寄せられた支援物資の段ボールには「今は大変だと思いますが、頑張ってください」「応援しています」などのメッセージがたくさん書かれており、皆様の思いが本当にありがたく感激しました。また、いざ、という時に困っている人が居れば何を置いても支援にまわるという気持ちの尊さを教えられました。

あの時、一番必要だと思ったものは・・・

何十人という施設の利用者の命を守る為のマンパワー、食料、燃料、飲料水、発電機、無線機(通信手段)、反射式ストーブ(灯油)などを地域の人達の分も含めて備蓄しておくこと。

あの時を振り返って、一番考える事は・・・

入所施設では利用者の生命を預かっています。どのような状況下でも利用者の安全が最優先となりますが、その為には職員の確保が必要です。しかし、利用者を守る為に命を落とした他施設職員のニュースを聞いて、どうしたらよいのかを考えると、重い課題でもあります。遺族から訴えられている例もあり、日頃のリスクマネージメントの重要性を痛感しています。

今、一番伝えたいこと

利用者の命、安全を自分たちが守り抜くという職員の献身的行為には施設長としては感謝しかありません。職員は自分の家、家族がありながら、施設と利用者を最優先に考えてくれ、使命感を持って行動してくれました。

通常の仕事では感じられなかった職員の姿は忘れられません。

全国セルプ協の会員施設から、数多くの方が被災地支援に駆けつけてくれました。若い人だけでなく、施設長自らという施設も多いように感じました。志願してきていただいたお気持ちは大変尊く、有難く、心強く感じましたが、送り出した施設はその分スタッフが足りない状況で頑張っていただいたことを推察すると、本当に多くの人、組織にご支援いただいたことに只々感謝致します。