厨房片付け作業中に大きな揺れが来ました
片付け中に強い地震が発生し、食堂のテーブルの下に利用者さんと一緒にもぐって、まずは揺れが治まるのを待ちました。
揺れが治まっても直ぐに利用者さんを帰宅させるのは困難だと思ったので、先を見越してまだ非常用の電源があるうちにガス釜でご飯を炊き、レトルトカレーを温める準備をしました。利用者さんはわりと落ち着いていてこちらの指示にも協力的でした。
気仙沼市総合体育館へ避難しました
違う施設の職員に促され、また避難所へ行けば今後の情報も得ることが出来ると思い、連絡の職員を残して事業所の送迎車で避難を開始しました。その時は、毛布、医薬品、利用者さんの薬、懐中電灯を持ち出しました。どうしても避難所に馴染めず、職員と事業所に戻った利用者さんもいましたが、暗くなってきて不安ながらもみんな比較的落ち着いていました。
体育館では一晩だけ過ごしました。寒くて真っ暗だったので声を掛けながら、はぐれない様にして指示を待ちました。一つの部屋にまとまっていることが出来たので、周りに気兼ねをすることなく過ごすことが出来たのは助かりました。
2日目からは事業所に戻り避難生活が続きました。
家族との連絡
携帯電話は繋がらなかったので利用者のご家族との連絡については、帰宅が可能な人は自宅まで送り届け、他の方は家族が迎えに来るのを待ちました。
私自身は、避難所に残っていた職員から避難先を聞いた姉が事業所まで捜しに来てくれました。実際に家族と再会できたのは震災3日後ぐらいだったと思います。
事業所を再開するにあたり
これまでの職場の厨房作業が業者委託になった為、25年4月から現在の職場(ワークショップふれあい)に勤務になりました。そこで再び無事にみんなに会うことが出来たことは大変嬉しかったです。
あの時を振り返って、一番考える事は・・・
反射式のストーブや灯油、下着、ソーラー式発電器など、非常時の為に色々と備えがあれば良かったと思いました。
また、私的な面では自宅も流されてしまいながら職場に残っていたので、私物などを探しに行けばよかったと思っています。写真などももしかしたら見つけられたのでは…と後悔しています。