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放射能の風評被害は今も続いています

社会福祉法人矢本愛育会 ぎんの星
生活支援員:女性/当時52歳

事業所種別
就労継続支援事業B型
事業所規模
定員38名
所在地
東松島市矢本字太子前324-3
建物被害
シイタケ栽培棟菌床棚倒壊、関連設備機械損壊・大型ビニールハウス津波流入
人的被害
なし
※施設の詳細やMAPの場所は被災時のものです。

施設内で事務作業中に地震発生!!

すぐに館内にいた利用者を外に出したり、各作業場を走り回って、テーブルの下に隠れさせたり作業場の外に出るように声掛けをしました。
地震が治まって取りあえず、施設の外の広場へみんなを集めました。その後とても寒かったのでビニールハウスの作業場へ移動しました。怖くて泣き出す人、移動するにも腰が抜けて歩けない人もいました。
揺れが治まってから利用者のご家族で迎えに来た方が2~3名いましたので、確認が取れた方から帰宅してもらいました。残った利用者に対しては、お互い励まし合い落ち着かせました。しかし、その後の度重なる余震に怯え、泣き出して言う事を聞かない利用者もいて困りましたが、緊急事態だったので半強制的に行動してもらいました。

高台の同法人内施設へ避難移動

最初、揺れが落ち着いた頃を見計らい送迎バスを出しましたが、途中津波襲来の知らせを聞き戻ってきました。その後、この場所も危険と感じた為、避難を決断しました。
法人本部がある「第二共生園」が高台にあったのでそこへ園車に分乗し避難移動しました。移動の際は、動揺し泣き出す利用者もいました。よく覚えていませんが、みんな着の身着のままで避難していたと思います。利用者はみんな避難させましたが、職員2~3名が施設の近くに残り、津波の状況を見ながら施設内にあったストーブ・発電機を積み込み、暗くなってから合流しました。避難先に着いてからは、利用者もだいぶ落ち着きを取り戻したが、不安な様子が見て取れたので、職員みんなで励ましました。
利用者のご家族への連絡は、施設へ避難先を記した貼り紙をした事、地元のラジオを通じて無事に避難している事を放送してもらいました。


※3.11 施設の周りはすべて水没しました


※しいたけ栽培棟 菌床棚倒壊

約2週間の避難生活でした

同法人内の施設の一室を避難所として生活した為に、特に問題なく過ごすことが出来ました。日中は、動ける人は、施設等の片付けに通い、団体で行動できたので心強かったです。しかし、利用者の中には家族が心配で不安を募らせている方もいて、どのように声掛けして良いのかわかりませんでした。

4月中旬から再開しました

同じ場所で再開しました。グループホームを利用していた方は、震災後も継続的に施設を利用していましたが、在宅の方々は4月中旬からの利用となりました。自宅で過ごすことにストレスを感じている様子があった事が理由です。
事業所再開にあたり一番困った事は、ガソリン不足でした。先ずは職員の送迎からはじめました。
再開後は、多方面から支援を頂き、また、授産品の購入支援も頂き活気付きました。逆に、しいたけ栽培を行っていますが、放射能による風評被害がいまだに続いています。利用者の人数は特に変わっていません。しかし、震災で親を亡くした事で、情緒不安定な様子の利用者が時折見受けられます。
震災後、同業の福祉施設に限らず、各方面(東京・大阪などの学校やその周辺地域)からの支援が今も続いています。

 

あの時、一番必要だと思ったものは・・・

非常食・水・ガソリン・発電機・暖房器具などです。

あの時を振り返って考える事

自宅が被災した事を知っていましたが、利用者を守ることで精いっぱいでした。日々の食事や水の確保、暖を取る事など、また利用者の精神面でのケアが大変でした。

今、一番伝えたいこと

利用者と職員が一体となり、みんなで励まし合い復旧の為頑張れたことです。
今、振り返るとこれまで以上に連帯感が強くなり、協力しあえた事を誇りに思います。