仮設

津波の爪痕

利用者さんの家が津波被害にあった人は特になかったですね。その為仮設に入った人も居なかったです。
ほんと、施設だけがやられちゃったっていう。尚更、さくらんぼが早く復活してほしいっていう思いが強かったんですね。引きこもりとかもなくみんな元気にきてくれたんです。

反対に施設の被害状況は深刻で…職員の自宅が津波の被害にあったり、職員の車が流されちゃって家の中に突っ込んでたり、さくらんぼは基礎ごと2~3m流され、地中で電気とか水道管とかが断裂し全部だめになってました。どうしようかと…。

避難所の閉鎖

なかなか法整備が整わず、福祉仮設への引越しは被災者の中で、最後になりました。

避難所の滞在期間も夏くらいまでいたと伺いました。

かよ子さん:私たちが一番最後までいました。
まず一般の人たちから仮設住宅に引っ越ししていきました。徐々に避難者が減っていき一般の方々がすべて避難し終わると、まだ私たちは作業室で避難生活をしているのに、清優館の避難所が解除となり驚きました。

安子さん:もう閉鎖になったんだよね。

多田さん:その時まだ仮設のグループホームも出来てなかったんですよね。

かよ子さん:仮設グループホームが完成して、引っ越したのは9月でした。その年、秋に大きな台風が直撃し、ちょうど二日前に引っ越しして、ようやく落ち着いたところだったね。なんとか、自分の部屋で寝られるようになったねっていうときだったね。

小川さん:はい。

かよ子さん:大きな被害は無かったので安心しました。けど、彼女たちはすごい我慢したと思いますね。

小川さんは普段からがんばる方なんですか?

かよ子さん:うん、仕事ね。みんなの手伝いもしてくれるし。

福祉仮設

小川さんが以前住んでいたグループホームは、海に近かったため、津波で浸水。

安子さん:仮設の施設(グループホーム)が出来たのは9月か、8月くらいでしたね。

多田さん:もともとは町(鮎川浜地区)のほうにグループホームがあったんです(絢子さんが住んでいた)。仮設の今住んでるグループホームが出来るまでは、住む場所が無かったです。一般の方々の仮設(住宅)から順番に出来ていったので、実際に7ヶ月以上は、避難所生活だったよね。

みなし仮設ですか?

多田さん:仮設のグループホームですね。

安子さん:市内のほうだと結構ありますけど、牡鹿地区では一軒のみですね。

支援物資

なかなか支援の手が入らず、あきらめムードの中でも、声を上げることは忘れませんでした。

仮設が完成した後、物資が届いたりはしたのですか?

かよ子さん:物資はね、利用者さんが仮設のグループホームに入る際に必要な7点セットみたいなものは申告はしてたので、頂いたんです。
ただ、(仮設の)グループホームの後ろに一般の仮設住宅があったんですけど、そこに一軒ずつ物資が届いても、グループホームには来なかったんですよ。地域の皆さんには物資が届いたと教えられても、グループホームには声を掛けられなかったんですよ。こんなに立派な建物があるのに。

小川さん:ジャガイモとか、みかんとか、後ろの仮設の人たちだけで。

かよ子さん:それが、欲しいとかでないけど。

そうですよね

かよ子さん:グループホームの窓からすぐに一般の仮設住宅の玄関が見えるので、物資が運ばれているのが見えるんです。だからそこで、ちょっと嫌な思いはしたのかなって。

そういう思いをした人たちはどういう人だったのですか?

かよ子さん:地域の名簿に載ってなかったの。それで「うちは何区の何班なんですか!」って聞いて。名簿に載ってないと地域の情報が伝わらなし、いざという時のために地域の方々とコミュニティーを築いていないと、地域での生活は難しいので、名簿に載せて貰いました。そういう形で関わっていくうちに、地域との連携が取れてきました。

小川さん:でも、仮設のグループホームに引っ越してから2ヶ月くらいは、物資が来なかったんですよ。

物資はなにが来たのですか?

小川さん:野菜とか来て。

かよ子さん:(利用者の)皆さん住む場所が昔と違うところになるので、区長は誰なのとか、近所の人とのコミュニケーションとか不安が多くあるなかで、「何が・・・となりと違うの?」という言葉も聞かれてました。なんか一般の仮設住宅とは違う扱いみたいな感じなんですかね。

9畳のワンフロアー

仮設住宅での暮らしで大変だったのは、9畳程度のワンルームに家族4人で暮らさなければならないことでした。

熊井さん: 2016年、復興住宅にお引越しされたそうです。(当時は)祥心会の福祉避難所から(同じく祥心会の)福祉仮設に移っていました。引越しをされるまでは、ずっと福祉仮設に居ました。
今はもう別の仕事をされていますが、その福祉仮設で、お父さんは管理人さんとして働いていました。住まいのすぐ近くで働いていたので、ご家族は安心されたと思います。

愛さんはお家のお手伝いをしましたか?

愛さん:洗濯とか掃除とかしてまして。

何か、その時大変だなと思ったことなどはありましたか?

愛さん:掃除機をかけるのが大変でした。

熊井さん: 愛ちゃんも妹さんも以前のご自宅には個室がありました。お母さんが同じ場所に家族で居たのは、中々大変だったと、おっしゃっていました。

ご家族から、仮設生活での愛さんの様子や困ったことなど、聞いていましたか?

熊井さん:お父さんが働いているとはいえ、祥心会(別の事業所)だったので、溶け込むのは大変そうでした。愛さんのご家族は「織音」の利用者と隣同士だっただけで、他の人とは親しくはしていなかったようです。福祉仮設で生活されているほかの方は、知らない人同士だったようです。

ハンドマッサージ

お父さんのおかげもあって、愛さんは仮設住宅の集会所で行われるイベントにも参加するようになりました。

仮設での生活の中で、助かったことや良かったことはありましたか?

熊井さん:支援物資が届いたり、餅つきなどのイベントがありました。お父さんは(仮設の近くの)集会所で、その仕事もしていました。

どんなイベントが一番好きでしたか?

愛さん:ハンドマッサージとかの。

熊井さん:イベントでハンドマッサージをしに来てくれました。

してもらって、どうでしたか?

愛さん:香りも、純情でした。気持ち良かった。

熊井さん:その福祉仮設には、たくさんの障害者とそのご家族がいらっしゃったので、色々な支援があったと思います。お父さんもイベントのお仕事を一生懸命していましたね。

愛さん:はい。

仮設での生活

その後5月に仮設住宅に移られて困ったこと、反対に引っ越してきて良かったことはありますか。

初めは仮設ができていいかなと思いましたが、壁や屋根に断熱効果が無かったので、夏は暑いし冬は寒いしでそれが一番大変でした。また、近隣の人たちとコミュニケーションが取れなかったのが困りました。閖上に居た時は、周りの健常者の方が私達とのコミュニケーション方法はこれ、という風に覚えていてくれていたので、簡単な身振り手振りや筆談でコミュニケーションが取れたけれど、仮設住宅ではそういったことがなかなかうまくいかなかったですね。

あとは、当時は色々な役所での手続きをする際に、手話通訳者もいなかったので細かい書類の書き方が把握できずに大変でした。でも3か月が過ぎる頃になって全国からボランティア通訳の方が仮設住宅に来てくれたのでとても感謝しています。

 

震災に遭って災害に対しての備えはどうしていますか。

過去に津波などの経験が何回かあれば防災準備もしていたと思いましたが…。今は海から離れているので安心はしていますが、防災準備はしています。

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