避難場所での困ったこと

お話:社会福祉法人 嶋福祉会 就労継続支援B型事業所 さくら学園
施設長(当時) 佐野篤さん

 困ったことだらけではありましたが我々だけがそれを言っても仕方がないというのもありましたし、皆それは言わずに我慢していましたね。
 むしろ振り返ると色々ご配慮頂いたことや、感謝のこととかのほうが浮かんでくる。
 ちょうど塩釜は港に近く海産物の加工場が近くに沢山あったおかげで、冷蔵庫に入っていたものを避難所の食料として出してもらえたんですよね。
 被害の程度の地域性というか、多賀城では、聞くとほんとに食料が少なくてひもじい思いをしたみたいですけど、我々はもちろん満腹という訳ではないですけど、そういう面でもすごく結果的に恵まれていたなと思います。
 ただ避難先は学校なので、いつまでも被災者が体育館に居ると学校も困る訳ですね。最終的に我々も引き上げる決断をしたことの一つに、いつごろ出て行けるかという問い合わせが入り始めた他、運営側の問題もあったんですね。
 やはり学校なので子供達のために空けなければいけないというのも当然だとも思いますし、新学期が近づいてきたりして。あの当時まだ小学校は卒業式をしていなかったですしね。そう言われればやはり、子供達の卒業式がなかったというような残念なこともないだろうから、なんとかして早く出なきゃねと。
 でも本当に助けられたことしか思い出せないので、ありがたかったなぁって思います。

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