災害弱者とは災害時要援護者ともいいますが、「自力での避難が困難な人。支援を要する人々。」当然避難してからも配慮が必要となるわけです。仮設に入る際は優先順位が高いと言われながらも避難所では居場所すらない。例えばトイレが多目的トイレじゃないと使えない利用者さんがいたりとか、障害持ってる方はここのスペースを優先的に使ってもいいですよとか、当時はそういった配慮はなく結局避難所ではない別の居場所を探したり、車の中に入るしかなくなったり。そうすると避難所以外では支援物資はもらえないとか…。堂々巡りになり、当時はそういった事がしんどかったです。
最初に困ったのは食料です。あとは津波に飲まれて濡れているので、それで衰弱死じゃないですけど、そういうことが怖かったです。ストーブがあって、暖を取れて助かったなと思います。あれがなかったら違っていたんじゃないかな。
その他、利用者のひとりの方がトイレに行きたくなって。生物室の前が校庭で車もたくさんいて、する場所がなくて困っていて、体育館の裏のほうに場所を作っていただいた記憶がありますね。
だんだん女性陣もいきたくなってきて。教室にある、机やカーテンを使って、さらに校庭の車のライト消したりしてプライバシー確保しながらトイレを作りました。でも寒かったし、普段と違って人目につくので、もよおしたのに出なかったそうです。
かよ子さん:障害をもっている人が過ごしてる場所とは知らない人が地域にいっぱいいました。
だから、なんでここ(事業所の作業室)だけ特別扱いされてるんだろうって不思議がられていて、そこからトイレで問題があったりとか、ルール上、きちんとやってない人を見つけると、「こんな風にしたの、くじらのしっぽさんの人たちじゃないんですか?」って言われたりもしてました。
色々なマイナスな言葉を聞いて利用者さんが嫌な思いをするのも嫌だったので、たまたまうちで別棟の作業場にトイレもあったし。あっちに歩いていくのひどいけど、夜も誰か付き添って行って使おうねと話し対応してました。でも、そうしているうちに、周りの方々もみなさん(利用者)の事を少しずつ、わかってくれました。
かよ子さん:きっかけは、(避難所である)館内の運営をするのにルールを決める、朝に全体で行われる避難所ミーティングでした。みんなで使うところだから、ルール決めすることになったんです。私たちも、くじらのしっぽとしてそこに参加しました。私たち掃除などやれること、みんなと同じことできるっていう意思表示をして、一般の方と一緒に行うようになった結果、偏見とか、誤解も無くなっていきました。
でも、「普通にしゃべれるんだ」って言われますよ。障害を知らない人にはそう言われて、ほんとにびっくりしますよ。
障害を持っている人は、すべて助けが無いと生活できないというイメージを持っている人が多くいることがわかりました。
例えば、「順番だから並んでって言うと、一般の人と一緒に並んで待てるんだ」という理解から始まって、(避難所に)救援物資来たら、分担する係りの人足りないから手伝いの声を掛けられることもありました。例えば職員と利用者、ペアで行って手伝ったりするうちに、少しずつ理解してくれてる人たちも居たので、その人たちから、声を掛けて貰ったりして、徐々に偏見も無くなっていったことが嬉しかったですね。
利用者さんはある意味互いに気を遣いあって、我慢をしていた方も沢山居られたと思います。
不便な生活が続くせいでちょっとピリピリするということもありましたしね。何もやることがないと悶々と内にこもってしまうので。
そんな中、トイレの水がなかったので学校のプールからバケツリレーで水を汲み置いて、皆用を足したら流すというサイクルを、避難所の中で作り始めました。そして、そのバケツリレーに参加して身体も動かして。掃除する場所を決め、自分達のフロアの掃除を役割分担的にやらせてもらおうと思ったんです。
避難所でもすごく配慮してくれていました。例えば要介護状態の方でなければ基本は体育館のところ、我々は体育館に一泊したあとに別の部屋の方がいいよねという風に言って頂き、教室を一つ空けて頂いて。そこに40人位大人が寝れば足の踏み場もないのだけれど、でもやはり我々としては気持ちも楽でしたよね。周りの方へ気を遣わなければならない部分が増えると我々も追い詰められてしまうので・・・それは本当にありがたいことでしたね。助かりました。
揺れが収まってから、建物から出る段階に移っていったと。
そうですね。ドア自体は開閉できるように抑えていたので、そこで閉じ込められることはなかったです。次に避難経路の確認ということで、イベントをしていた場所が非常階段に近いスペースだったので、一応確認してから皆さんと一緒に避難しました。階段なんかも、壁ににひびが入っていたり、天井からパラパラ小石が落ちてきたりした部分もあったんですが、大きく壊れているところはなかったので、そのまま裏口駐車場まで利用者さんに付き添っていきました。避難訓練をしていた時に自力で歩ける方々は先に降りて、スタッフの介助が必要な人たちが後から行くようにしました。
避難時に皆さんが履いていたのは内履きのような、運動靴のようなものですかね?
そうですね。
ガラスが割れたことはなかったですかね。
そうですね、ガラスが割れたことはなかったですね。イベントをしていたスペースはあまり荷物を置いてあるスペースではなかったので、何かが倒れてきたり、ものが散乱したりすることは無かったので、それはよかったですね。
40名を超える人がいらした状況で、全員の避難が完了したのが何時くらいだったか覚えていらっしゃいますか?
詳細な時間は記憶していませんが、みなさんスムーズだったと思います。パニックになるような人もいなかったので。みんな怖かったと思うので、速かったですよ、普段歩く以上に。
当時の利用者さんの年齢は、どのくらいの方が多かったですか?
今から7年前なので、30代くらいの方が多かったですかね。50代、60代の方もいらっしゃいましたが。
そうすると所定ルートを通って素早く行動できたと。その後は所定の広場のようなところに集まったということでしょうかね。
そうですね。裏口から出てすぐに駐車場がありましたので、そちらに避難していましたね。
その後の行動はどういった感じだったでしょうか?
そのあとはですね、駐車場と言っても建物から近いところだったので、そこからも少し離れて、隣の敷地のすぐそばに個人宅があるんですけど、カーポートをお借りして、雪を凌ぎながらいました。
それはやはり築50年というのが頭にあって、離れた方がいいだろうという判断ですか?
そうですね。建物の方には近づかないと。利用者さんのこだわりで自分の荷物を持ってこなきゃない、靴を持ってこなきゃないっていうのがあったんですけど、「危ないからやめてくれ」っていうのでそこは制止して。あとは揺れが収まって、必要な物品、例えば毛布だとかを職員が持ってこられるものは持ってくるから、みんなはここで待っててね、という形で職員が建物内に取りに行っていましたね。
近隣住民の方も避難していたと思うんですが、様子はいかがでしたか?
そうですね、みなさん外には出ていらしたと思いますが、一時避難で外に出たときはそれほど多くはいらっしゃらなかったですね。
そこから次はどうされましたか?
駐車場に出た段階で、各家庭への連絡をしてみましたが、回線がパンクしていてほとんどつながりませんでした。で、「災害伝言ダイヤル」の練習をこぶしでしていたので、そちらに伝言入力もしてみましたが、そちらもだめでした。実際にはどこにもつながらない状態でした。あとは16時くらいに、近くの長町小学校に避難しました。雪も降ってきて寒かったので。移動するときに、建物の裏側の入り口に「長町小学校に避難しています」の張り紙を残して、移動しました。
父兄の方々は、張り紙を見て長町小に迎えに来られた方もいましたか?
いらっしゃいましたね。長町小に行った時も人はもうすごく集まっていて、体育館も人でごった返していました。実際に利用者さんと行ってはみたけど「この中には入れないだろう」というので、スタッフの方に「障害のある方と避難してきたんですが、まとまって入れる場所はありませんか?」と相談をして、図工室の方に通してもらいました。
いろいろな事業所さんの取材の中で、「部屋の確保」を交渉する段階でトラブルがあったという話を聞くのですが、こぶしさんの方ではいかがでしたか?
多少の待ち時間はありましたが、トラブルはありませんでした。
その後長町小学校はどのくらい滞在されましたか?
一泊ですね。その間に張り紙を見て保護者の方がお迎えに来たり、たまたま連絡がついたご家庭の方に引き渡したりした事例もありました。
夜が明けてから、公用車で送迎しようということになりました。ガソリンも残っていたので。自家用車で来ている職員もいたので、方面を決めて利用者を送りながら職員も自宅に帰ることにしました。信号も付いていないところがほとんどだったので、もごすごく慎重に送っていきました。で、ご自宅に着いたものの不在で、お会いできなかった利用者さんの保護者さんもいらっしゃいました。お会いできなかった方は小学校まで戻ってきました。最終的には連絡が取れて、12日中には全員ご自宅に帰ることができました。
避難所で特に困ったことはありましたか?
お手洗いはみなさん気にしていましたね。水も流れないし、2日目くらいからは臭いの問題なんかもありましたね。そもそもあまりトイレに立つ方はいらっしゃいませんでしたが。
一般の方と同じトイレを使っていらした?
そうですね。
長町小学校は地域の指定避難所になっていたんですか?
はい。地域の方が避難してきていました。
では避難に必要な基本的な備品はそろっていたという状況でしょうか?
いえ、当日は何もなかったですよね、ただその場でお迎えを待つという感じで対応していました。
寒かったですよね。
事業所に毛布なんかも取りに行ったんですけど、清掃班のジャンバーとか、利用者さんの上着とか、あるものを使って暖を取っていました。体を寄せあったりもしてましたね。
停電もしていたので、不安の強い方とは手をつないだりもしていました。たまたま職員が懐中電灯を持っていたので、天井を照らしてうっすら明かりを確保することができました。
とにかく外部と連絡が取れる状況になかったので、とにかくそこに留まるしかないという状況でしたね。