知ること

災害弱者と福祉の現場2

 車椅子って一人一台しか押せないじゃないですか。利用者さん10人いたとして職員体制も10対10ならいいんですけど人手は足りてない。

 そういうことって言われればわかるんだけど、福祉に携わっていない人たちにもあの時福祉の現場のあちこちで起こっていたことを掘り起こして、知ってもらいたい。

自分たちの役割とは

不動産屋には偏見を受けましたが、でも世の中の人って本当はとっても優しいのも一方で感じています。それは避難所にいて感じました。
皆さん、「障害とは?」って知らないだけで、例えば施設のスタッフが間に入って説明すると皆さんに普通に、「そうなんだー」と自然に受け止めてくれます。私たちは障害や病気のことを知識としてまだ知らない人に、つなぐコーディネーター的な役割もあるかと思います。
避難所生活でそれを体感しました。万が一の時にサポートを受けるためにも、利用者さんに障害があることを部屋の人に伝えてよいかをお聞きし、同意を得た上でお伝えしました。
薬を飲んでいるとき「あのお兄ちゃんどこが悪いの?」って聞かれたことがあります。気になっていたようです。「精神科にかかってて薬飲んでるんだよ」って答えると「そうは見えないね、わかんないね」って。
そういう風にうまく間に入ってお話すれば、安心感を持ってお互い、相手も知ろうとしてくれるんですよね。そして見守りまでして下さいました。それっていいですよね。相互理解ですね。知ることは大切。

避難所から避難してきた障害者

自分も避難してきて弱ってるのに、ちょっと弱い人たちに手を差し伸べることっていうのは難しい。

多田さん:自分は震災時、(石巻)駅前の障害者相談所にいたんですけども。震災後、仕事で回ってるときに、あるご家庭に行ったんです。一階はもう(津波被害で)何もなくて、二階で重心(重度心身障害)の方が、生活してたんですよね。
それで、その方の親御さんと話した時、(発災時)最初、学校が近くにあるから避難したらしいんです。でも、その日の夜に(避難所に)居れなくなって、車の中でずっと過ごしてたそうなんです。重心の子なので、夜、(症状が出て)騒いだりしたことで、周りからの心無い言葉もあったみたいですよ。でも車の中だけじゃ厳しいとなって、一回家に戻ったそうなんです。そうしたら、下はだめだけど、二階に何とか上がれたから二階に上がったんだそうです。そういう話を聞いて、やっぱり人間は、ある程度のつらい状況下になると、この方は障害持ってるから大変だよねっていうよりもまず、うるさくて寝れねんだって言ってしまうのかな。

かよ子さん:そう、自分になってしまうのね。

多田さん:知らないって怖いって。ほんとにそういう意味なんだなって。

安子さん:でも、ほとんどがこれだと思うよね。

多田さん:だから、避難所に行けなかったっていう人がほんとにいっぱいいた。

かよ子さん:だから、そうやって非難されたり、何かわからない視線とか、何かわからない空気感で、その場(避難所など)にいられなくて、車に居ましたとか、家、いつ倒壊するかわからないけど、そこにしか居られないんですっていうのは、ほんっとにね、キツイだろうなー。

想い

現在の立身さんの生きがいというのはマッサージの仕事と、先ほど言った仲間との情報共有のネットワーク作りと仕事作りということになりますか?

そうですね。そう言いながらもときどきね、テレビを見ているときとか独り言を言ってしまうんですね。(震災を)思い出したくなくても思い出してしまう。忘れようとしても忘れられるわけないだろうとね。しようがないよね、毎日いろんなことがあって。生きてるからね。生き延びたんだから。申し訳ないけど私は笑うよとか。独り言でね。酒も飲むし、でも時には涙も流すさ。申し訳ないけどもう少し生きるよって言いながらね。何だろう、自分を慰めているのかね。そんな感じになってしまう。

 

震災をきっかけにより想いが強くなったんですかね。

そうかも知れないね。いろんな人のいろんな考えがあると思うのね。みなさん、強くなったんじゃないですか。

 

立身さんは積極的に活動されていると思うのですが、そうやって発信している方々がいるからこそ、周りの人もたくさん力をもらっているんじゃないですかね。

それが目的というかね。

 

まだまだ様々なサポートがあることを知らない人が大勢いると思いますが、そういった人達に発信していけると生活が潤うというか、充実した人生が送れますよね。

こっちの方を向いてくれるかなって。同じ想いを持った仲間と協力しながらね。仲間も常に何かできることはないかと探しているんですよ。待つだけじゃなく、行政や社協の方に協力してもらいながら、ラジオ、新聞なども利用させてもらってね。

 

先ほど、当事者の人にもっと表に出てきてほしいという話がありましたが、内向きな方が多いのですか?それともきっかけが無いだけなんでしょうか?

うーん、きっかけがないのかな。多分、何をやったらいいか分からない。そういうところだと思うの。例えば交流会などで役所の人と話をしてもね、一回だけじゃだめだと思うの。何回か参加して考えないと。一回話を聞いただけで活動を始めても長続きしないと思いますよ。ゆっくり考えればいいじゃないですか。

 

まずは参加することですね。

そうだね。参加してほしいし、そのためには情報を流す必要がある。

 

そういった方々が表に出てくることで生き甲斐を見出してしいという想いがあるということですね。

そうですね。見出してほしいですよね。もし、表に出てくるのがイヤだと言うのであれば、いろんな音声情報があるじゃないですか。それを利用すればいい。例えば、プレクストーク(視覚障害者向けの音声を聞いたり、編集することができる機器)。プレクストークは役所に頼めば手配してくれる。そういうサービスがあることを知らない人もいる。必要なら教えてくれる人も来てくれるので。自宅でなら、3、4人くらいで練習会もできるんじゃないかなと。そこまでいきたいね。とにかくそのためには役所、社協の手を借りてね。

 

立身さんのようにポジティブで積極的に人と関わる方ばかりではないと思うのですが、そういう人達の背中を押してあげる役割をされているという印象を受けました。もっと情報を得ることができて、その中から自分で選んで行動できるようになればいいですよね。

そうなんだよね。自分で選べれば最高ですよね。もしかしたら、体を動かしてみたいって人も出てくるかもしれない。そうなると障害者スポーツに繋がってくる。

 

世界が広がりますよね。

広がりますよ、絶対。だからもったいない。

 

知らないってことはもったいないですよね。

やはり情報ですよね。そこをね、何とかして行きたいね。

 

立身さんもパワフルでいらっしゃいますね。

うーん、凄い人はいっぱいいるからね。でも、こういう風にいろんなことができるっていいよね。いろんな人の手を借りながらもね。石巻って震災後にボランティア団体がいろいろできたんだよね。そういうのと障害者ももっともっと繋がっていけばいいのになと思うんだよね。いろいろやってる人もいるみたいだけどね。

 

では、今後の課題ということですよね。

うーん、だと思いますね。

 

立身さんが震災前に住んでいたご自宅は、基礎だけが残り更地となってしまいました。近辺では多くの犠牲者が出ており、津波がいかに想定外で大きいものだったかを物語っています。立身さんの仰る繋がる事の大切さはもちろん、大災害を想定して、いかに備えるかが大事だという事を痛感する取材でした。

震災を経験して思うこと

 震災の前と後で、精神面あるいは体調面で変わったと感じることはありますか?

あります。すごく痩せたんです。娘も同じです。当時中学校1年生だった娘にはいろいろ助けてもらいましたが、ただ、やはりパニックになる所もありました。一番娘がイヤだといったのは「警報」です。雨が降ると水かさが上がりますとか、道路が通行止めになりますっていう放送が鳴るたびに怖がっていました。余震があればすぐに目が覚めて、荷物を持ってすぐに家を出ることの繰り返しで、本当に精神的に疲れました。

LEDの携帯用ランプや懐中電灯を部屋にたくさん置いて、寝る時も光がある、何かあったらそれを持ってすぐに逃げられるようにしていました。それは今も変わらず置いています。食べ物もそうです。備蓄というのは今もしています。

 

防災意識が高まったということですよね。緊急情報の取得というのは、震災前はどのようにされていたんでしょうか。

テレビ、スマホです。アプリなどを活用していました。娘が学校などでいない時は耳からの情報が入らないので、スマホとかテレビを観て情報を得ます。街中のことでいえば、電光掲示板のようなものがあればいいなぁと思うことがあります。私の場合は、筆談などで「何があったの?」と聞きに行ったり、周りで話している人の会話を読み取るために気を巡らせないといけない。何度も何度も聞いているうちに、聞こえている人もこちらも互いに気を遣ってしまうんです。できれば音声放送以外にも、見てわかる物も示してもらえるとありがたいですね。

 

震災を経験して、聴覚障害の方に向けて備えておいた方がいいと思うことやアドバイス等があれば教えてください。

熊本地震のニュースなどで、家族に聞こえない人がいる時に、情報が入らなくてご飯の配給が3日間もらえなかったというのを見ました。避難所ごとに状況はまちまちだと思うので、隣近所の人たちには、自分が聞こえないということを伝える、ちょっと面倒だけどニコッとして(笑)伝えることが大事かなと思います。苦しい表情とか不満な表情を見せるのではなく、「よろしくお願いします」っていうふうになれば、周りの人たちも「いいよいいよ」って言ってくれると思います。「多くの健常者の中にろう者の自分が一人だけいると、遠慮してしまったり、何か恥ずかしい」というろう者の方のお話を聞きました。「障害の無い人と障害のある人の部屋を分けるっていうのも一つの案なのかな」と言っている障害者もいました。

 

聴覚障害の方を健常者がお手伝いする際に、どういったことを意識しておくといいか、教えてください。

聴覚障害は見た目ではわからないという部分があるので、自分が聞こえないんだということを周囲に向けて表す必要があると思うんです。自分から発信していく。中には黙っている人もいるんです。個人の性格的な部分でもあるんですが。「聞こえていないのに、サポートされない」という不満を持つ方もいるんです。なので、支援してくださる方には、最初に「聞こえない人いますか?」「障害のある人いますか?」「病弱の方いますか?」「薬飲んでる人はいますか?」なんて紙に書いて出してもらう、確認してもらう、そのうえで対応してもらえるとその後が楽だと思います。みんなに見てもらって共有できたうえでサポートしてもらえる形だといいなと思います。

 

聴覚障害を持った方とコミュニケーションを図ろうと思った際に、手話ができなければ、簡単な方法としてはやはり筆談になりますかね?

そうですね、やはり筆談とか、あとは身振り手振りもいいですよ。

 

健常の人に知ってもらいたいことや訴えたいことはありますか?

あります。聞こえる人は津波が来るいうことも会話や警報を聞けばわかる、でも聞こえない者はそれがわからない。どうしたらいいんだろうってなった時に、聞こえる人が手をつないだり服を持ったりでもいいから、一緒に行動してもらえるとありがたいと思います。聞こえない人は自分で勝手に動くというよりも、聞こえる人達の様子を見て、真似て一緒に避難するっていうのが多いと思います。紙とかが無い場合は仕方がないから手の平に書いたり身振り手振りだったり、表情だったりで示してもらって一緒に逃げる。その後別れるとかでも構わないです。それが発災直後の話ですね。

あとは懐中電灯が必要なんです。筆談をする時や、携帯電話の画面に文字を打って、それを聞こえる人に見せるとコミュニケーションが取れるんです。暗い場所で見てもらうためにも、懐中電灯は欠かせませんね。今、便利なアプリがあって、打った文字を大きく見せることができるんです。筆談するものが無い時には、こういう携帯電話とかを使って、情報を伝えたり、情報を得たりしていくんですよ。ただ、バッテリーが無くなるとそれで終わりなんですね。電池残量が少なくなるとハラハラしてしまいます。

意識の変化

震災前は地震に対する備えはしていたのでしょうか?

特別な備えはありませんでした。防災グッズはローソクと懐中電灯だけでした。震災後はラジオを準備しました。車のラジオは携帯できないので、携帯ラジオと電池、それと利用者さんの電話番号など連絡先が分かるリストを各送迎車に積みました。それと携帯電話の充電器ですね。

 

震災の前と後では心境的変化はありましたか?

利用者さんのご家族はあったと思います。一瞬にして奪われる命を目の当たりにし、自分がいなくなったらこの子はどうなるんだろう?と具体的に考えるようになったようです。兄弟でもいればいいんですが、必ずしも皆そうではない。そうなったときに誰が面倒を見るのだろう?と。ですので、子供名義の貯金をされる方だったり、区分認定を貰って入所施設に入れるようにと、いまから短期入所の訓練をされる方だったり。とにかく自分がいなくなった時の事を現実的に考えるようになったようです。

 

最後に健常の方々に知ってほしいこと、訴えたいことはありますか?

いま、ひまわりではパンやクッキーを作ってますが、これは人と繋がる為のツールだと思っているんです。物を売ることで声をかける、障害を持ったひまわりの子たちが笑顔で配達をする、それを見て障害を持っていてもこんなに明るく笑えるんだということを知っていただく。職員も家族もだれもいなくなった時、一度でも顔を見た方ってSOSを出しやすいと思うんですよ。知っている方を増やしていく。障害を持っていてもこの気仙沼という地域で暮らしていく基盤を作ってあげたい。それが甘い香りのするクッキーだったり、香ばしい香りのするパンだったり。そうやって美味しいものを通していろんな人とつながっていく。金銭だけでなく自分がこれから生きていく、そういう輪を広げてくれたらなと思っています。今では気仙沼市内の企業さんであったりとか、行政機関であったりとか、17か所に訪問させていただいてます。そこで、ダウン症って何?自閉症って何?ということ以前に、ひまわりの利用者さんはいつも笑っているよね、楽しそうだよねって存在を知っていただく。私はそういった活動を通して障害に対する偏見を取り除いてあげたいと思っています。こんなにも屈託なく一生懸命頑張っているんですよ、笑っているんですよってたくさんの人に知っていただくためのツールがクッキーやパンなんだと思っています。ひとりでは絶対に生きていけない方々、でも誰かの手助けが少しでもあれば輝けるんですよ。笑えるんですよ。知らないと掛けられない声も知っていれば掛けられる。

 

コミュニケーションが大事で、それが防災にもつながっていきますよね。

私は防災にはそれが一番大事だと思います。ろうそくや電気も大事ですが、人に助けてと言えること、それと何があっても安心して集まれる場所がある、それが一番防災に繋がると思います。

 

今、伝えたいこと

身近な所で、一般の方に対して伝えたいことは何かありますか

今現在、にょっきり団に関わっている友人が、小学校などで福祉研修というのをやっているんですよ。私たちの時代の子どもたちよりも、今の子どもたちの方が福祉にかなり関わってるんですよ。車いすを見ても、案外何とも思っていないんです。どちらかといえば大人の方が偏見があるように感じます。子どもは正直なもんで、変わったものがあればじーっと見るのは当たり前です。いい意味で障害者慣れしてるんじゃないかなって感じはしますね。こういう子らが育ってくれば、本当に日本っていいだろうなって思いますね。「だめだよ、近づいたら」なんていう大人の方にガッカリさせられますね。

 

大人こそもっと勉強していく必要がありますよね。

道徳の時間などで「車いすの操作」や「片麻痺の人の状態」を体験してみるとか、色々やっているみたいですからね。自分が小さい頃は障害者を見ること自体が無かったですからね。環境が違うと思います。

 

今はお一人で外に出られたりする機会もありますか。

近所を散歩したりは、一人で出ることもあります。買い物なんかに行くときは、車に乗せていってもらって、その後は一人で動いています。この夏にはヘルパーさんを利用して、にょっきり団のみんなと一緒に県立美術館に美術鑑賞に行ってきました。楽しかったですね。

 

飛川さんにとって、にょっきり団というのは大切な団体になっているんですね。

そうですね。市に相談や陳情をする際の窓口として、情報交換の場としてであったり、一緒にアート展を観に行ったりもできる、そういう場所があってもいいかなと思います。あんまり怖がらずに関わってほしいですね。あんまり特別なもんでも無いと思うんで。ちょっと体が動きにくいだけで。一歩引かれてしまうと、何も言えなくなるんですよね。だから、普通でいいんですよ。過剰に「大丈夫ですか?大丈夫ですか」って来られすぎても、それも大変です(笑)緊急時はズカズカ来てもらった方がありがたいし、その辺の距離感ですよね。

 

そうなんですね。「あんまり障害のことは詳しくわからないけど、手伝う気はある!」っていうのを示していけばいいんですね。

こっち側もどうしてほしいかはっきり言わないから、悪い部分もあるんですけどね。私も初対面だともじもじしちゃうかもしれないしね。普通の人でも人付き合いって難しいですからね。

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