避難した歩道橋から下は屋根くらいまで水深があって降りるに降りれなくて。雪が降り積もり寒くて。消防隊が現場に来たのは17時前だったけど、周囲の被害が酷くて結局救助されたのは夜中の3時半でした。施設に行けたのは13日。行ったら津波の跡がついてて、室内はぐっちゃぐちゃになってました。
事業所前の道路も陥没して、堤防から溢れた水が直撃した感じで。津波が海側からと川側からと同時に来たようでした。
救助されたのが夜中だったおかげで、利用者さんに悲惨な光景を見せる事がなかったのはある意味救いでした。利用者さんの中には記憶力がいい人もいますので。
うちの施設は知的障害の方が多かったのですが、バランスを崩すっていうのはそんなにいなかったんです。「なんもなくなっちゃったね」「流されちゃったね」って。
「何かしよう、頑張らなきゃね」って言ってくれて救われましたね。
仕事をさせて頂いているさくら学園のグループの一つである事業所では、水が引くまで出ることが出来なくなっていました。幸い、社屋の二階に避難することができたため皆無事ではありましたが、自衛隊の救助の後我々と合流できたのは数日が経過してからでした。その辺りがはっきりわかるようになるまで、気が気じゃなかったですけど…。
おいそれと立ち入りできない、規制もかかっている中ではどうすることもできないまま、何人かは杉の入小学校からご自宅に戻せる方がでてきましたね。最初は30人位、利用者さんは居たと思うんです。藻塩の里と合わせると40位は居たかもしれない。
それが段々減っていって、最終的に10日後位までは20人。
我々はグループホームの事業もしており、そこのメンバー達も一緒に居たんです。ホームが全部津波にやられてしまった訳ではなかったものの、ライフラインもなく、分散すると職員の配置がつかない状況だったので分散をするとかえって今はまずいだろうと。手の回し様が無くなってしまうので。避難所に一緒に居て、そこで何人かの職員が見守りとかしながらでしたね。