うーん。全部が困ったことでしたね。利用者さん・職員に必要な情報が、受けることも、発信することもできなかったことが困りました。誰とも連絡が取れない孤立状態になっていました。
私たちスタッフは、利用者さんを守る為に色んな情報が必要ですよね。家に安全に帰すためにも。バスが動いてるのかとか。周囲の状況などの情報。あと薬の確保のための情報。そういった情報を得られないと現場で確実な対策が立てられない難しさがありました。
あとは、避難所内でパーソナルスペースが確保できなかったのは利用者さんにとっては大変だったと感じています。
はい。一般の方と同じ部屋で10日間過ごしました。特別な配慮というのは、なかったです。周囲とのトラブルはありませんでした。
そうですね。仲良くさせて頂いていた元町内会長さんがちょうど同じ部屋にいて、おかげで面識のない町内の方とも仲良くさせて頂きました。私たちも積極的に部屋の方にお話していったので、お互いを知ることが出来、トラブルもなくお互いに支えあうことができました。
避難所では学校の先生たちが主に動いていました。私たちは積極的にコミュニケーションを図り、先生方に福祉事業所の職員であること、現状などを話していました。
特にありませんでした。しかし災害時誰もが混乱している状況で、支えてもらうっていう考え方のみでいると、たぶん、上手くいかないんだと思います。災害時は支えてもらう人はみんな避難している全員同じだと思うので。
自分で避難所運営に入っていって、一緒にやるっていうスタンスでないとたぶん避難所で過ごす上で上手くいかないんじゃないかな。
なので、私たちは、七郷小学校に避難した後、すぐに職員室の方にいって、今どうゆう状況か?何か情報は?など情報共有をして自分たちができること、運営のほうに自然と関わっていきました。
まず初日の晩は生物室を割り振ってもらえて。先生たちとの話し合いをする場で南三陸町社会福祉協議会の方たちや「のぞみ」や老人ホームの方たちが避難しているので、各一部屋ずつ与えたほういいねってお話があり、翌日には各教室を確保してくださって。3月12日の午前中だったかな?
助かったのは水があったこと。あとはラジオの情報を全部教えてくださって。テレビもなにもないので。
さらに、日付変わる前くらいに、南三陸町社会福祉協議会のキーの方と学校側の配慮で、高校の北にある旭ヶ丘団地からおにぎりを分けてもらってきてくれて。それはありがたい1個でした。
まったく状況がわからなかったこともあり、電気もない中で情報もなくなってしまって。車でラジオをずっと聴いていれば多少はあったのでしょうが私も混乱していたのか、そういう情報を取る手段が何かはあったんだろうに、動けなかったというのが正直なところありましたね。
でも伝え聞いてくる話で、津波が来たらしいとか、さくら学園はどうなったんだろうとか、次の日になったらその辺も確認したいので、国道の様子がわかるところまで職員に行ってもらって。その辺りはどうなのかと聞くと、水が溜まっていると。完全に水浸しだったんですね。当時は。
まだ腰高まであるからとか、段々水位が下がってきて膝位とか、長靴なら行けそうだというところで二日目か三日目には施設に入って被害の状況の確認をしました。
震災後の地震に対する備えはどうでしょうか?何か備えていらっしゃいますか?
防災リュックがあります。水とかアルファ米とか、それと保温シートと着替え用ポンチョなどが入ってます。あとは手動充電できるラジオ、ランタンもありますね。それと笛、手袋。とにかく一式ですね。
健常者に対して、障害を持った方の立場から備えに関してアドバイスはありますか?
物というよりも、災害前にいろんな所と繋がっておく。そうするといろんなものが見えてくる。情報の共有が大事だと思います。
自分からアンテナを張って情報を収集すること、できるようにしておくことが大事だということですね。
そうだと思いますよ。そこからだと思いますよ、物資とかが届くのは。
災害時の情報収集手段はやはりラジオですか?
そうですね。テレビより分かりやすいのかな。テレビで困るのは、テロップは我々には何の役にも立たない。ちょっとのことでも喋ってもらえると助かりますね。それと、石巻地区なら携帯も便利です。登録をしておけば、訓練とか、大雨でもどの地域が避難とか、携帯に流れてきます。市の方に登録しておくんですよ。
それは音声で流れる?
そうです。
それは震災後に設けられた機能ですか?
いえ、もっと前です。何年前かな?結構前ですよ。携帯の空メールを打ってそれで登録するんです。震災後のメールの数はすごかったですね。罹災証明書に関することとかね。
そういったものに登録しておくことと、常日頃から周りの人とも繋がっておくと何かあったときに困らないということですね。
そうですね。やっぱり、そうやっていれば情報は早いですよね。そういう災害以外でも。
現在の立身さんの生きがいというのはマッサージの仕事と、先ほど言った仲間との情報共有のネットワーク作りと仕事作りということになりますか?
そうですね。そう言いながらもときどきね、テレビを見ているときとか独り言を言ってしまうんですね。(震災を)思い出したくなくても思い出してしまう。忘れようとしても忘れられるわけないだろうとね。しようがないよね、毎日いろんなことがあって。生きてるからね。生き延びたんだから。申し訳ないけど私は笑うよとか。独り言でね。酒も飲むし、でも時には涙も流すさ。申し訳ないけどもう少し生きるよって言いながらね。何だろう、自分を慰めているのかね。そんな感じになってしまう。
震災をきっかけにより想いが強くなったんですかね。
そうかも知れないね。いろんな人のいろんな考えがあると思うのね。みなさん、強くなったんじゃないですか。
立身さんは積極的に活動されていると思うのですが、そうやって発信している方々がいるからこそ、周りの人もたくさん力をもらっているんじゃないですかね。
それが目的というかね。
まだまだ様々なサポートがあることを知らない人が大勢いると思いますが、そういった人達に発信していけると生活が潤うというか、充実した人生が送れますよね。
こっちの方を向いてくれるかなって。同じ想いを持った仲間と協力しながらね。仲間も常に何かできることはないかと探しているんですよ。待つだけじゃなく、行政や社協の方に協力してもらいながら、ラジオ、新聞なども利用させてもらってね。
先ほど、当事者の人にもっと表に出てきてほしいという話がありましたが、内向きな方が多いのですか?それともきっかけが無いだけなんでしょうか?
うーん、きっかけがないのかな。多分、何をやったらいいか分からない。そういうところだと思うの。例えば交流会などで役所の人と話をしてもね、一回だけじゃだめだと思うの。何回か参加して考えないと。一回話を聞いただけで活動を始めても長続きしないと思いますよ。ゆっくり考えればいいじゃないですか。
まずは参加することですね。
そうだね。参加してほしいし、そのためには情報を流す必要がある。
そういった方々が表に出てくることで生き甲斐を見出してしいという想いがあるということですね。
そうですね。見出してほしいですよね。もし、表に出てくるのがイヤだと言うのであれば、いろんな音声情報があるじゃないですか。それを利用すればいい。例えば、プレクストーク(視覚障害者向けの音声を聞いたり、編集することができる機器)。プレクストークは役所に頼めば手配してくれる。そういうサービスがあることを知らない人もいる。必要なら教えてくれる人も来てくれるので。自宅でなら、3、4人くらいで練習会もできるんじゃないかなと。そこまでいきたいね。とにかくそのためには役所、社協の手を借りてね。
立身さんのようにポジティブで積極的に人と関わる方ばかりではないと思うのですが、そういう人達の背中を押してあげる役割をされているという印象を受けました。もっと情報を得ることができて、その中から自分で選んで行動できるようになればいいですよね。
そうなんだよね。自分で選べれば最高ですよね。もしかしたら、体を動かしてみたいって人も出てくるかもしれない。そうなると障害者スポーツに繋がってくる。
世界が広がりますよね。
広がりますよ、絶対。だからもったいない。
知らないってことはもったいないですよね。
やはり情報ですよね。そこをね、何とかして行きたいね。
立身さんもパワフルでいらっしゃいますね。
うーん、凄い人はいっぱいいるからね。でも、こういう風にいろんなことができるっていいよね。いろんな人の手を借りながらもね。石巻って震災後にボランティア団体がいろいろできたんだよね。そういうのと障害者ももっともっと繋がっていけばいいのになと思うんだよね。いろいろやってる人もいるみたいだけどね。
では、今後の課題ということですよね。
うーん、だと思いますね。
立身さんが震災前に住んでいたご自宅は、基礎だけが残り更地となってしまいました。近辺では多くの犠牲者が出ており、津波がいかに想定外で大きいものだったかを物語っています。立身さんの仰る繋がる事の大切さはもちろん、大災害を想定して、いかに備えるかが大事だという事を痛感する取材でした。
順番が前後しますが、地震の直後に感じた脅威というか、心配事はどのようなものでしたか?
連絡が取れないっていうのが、一番困ったことでしたね。たまたまご家族に大きな被害がなく、翌日には全員引き渡しができましたが、もしかしたら、建物が倒壊したり怪我されたり、最悪お亡くなりになったりとか、後から思うとすごくそういうこともあり得る状況で、そうなったときに連絡取れない、でも利用者さんは一緒にいるっていうので、そこから先の対応というので考える部分はありましたね。とにかく一緒にいるしかないとは思うんですけど。情報が入ってこない、連絡が取れない恐怖っていうのはありましたね。
当時の情報取得手段というと、携帯とラジオですかね。
そうですね、ただ携帯電話は連絡用で使っていたため、充電も切れちゃって、充電する手段もなくなって、近くの公衆電話も長蛇の列でした。
それ以外のがけ崩れや道路の陥没、火災とか、そういった心配はありませんでしたか?
そうですね、そういったものはあまり考えなかったという感じですかね。まぁ、どこがどうなっているか本当に情報として何もわからなかったので。行き当たりばったりじゃないですけど、自分たちが自宅に帰る時も、その場で判断してルートや対応を決めて。
本部を立てて、対応や情報を収集して時系列で対応したことを書いていったりはしていたんですけど、結局スタッフがちりぢりになっちゃうと携帯もつながらないんで、そこでのやり取りはその場での判断になる部分も多くあったので、すごく責任を感じるという、そういう怖さもありましたね。
誰しもあんな災害初めてですから、やることなすこと全部初めてですからね。でも避難に関しては、訓練の成果が出たというところですかね。
そうですね。
法人全体として、避難訓練は年6回というのが定められているんですか?
各施設によって違いますね。年3回のところもあれば6回のところもあって。
当時の施設長さんが防災意識の高い方だったとか?
後は施設の状況や利用者の障害の程度に合わせてという感じで。防火管理者を設けて、避難訓練の計画を立てて…という決まりもあるので、それに則って計画を立てたんだと思います。
こぶしさんで防災グッズなどの備えはありましたか?
地震に備えてということで、防災ずきんはありました。避難訓練の時にはそれをかぶって避難するということをしていました。さすがにかぶってから避難とまではいきませんでしたが、駐車場に移動する前に職員が全員分の防災ずきんを持って、みなさんにかぶっていただいていました。あとはラジオだとか、必要になるものは、避難訓練の時に持ち出すものだとかもあったので、それに沿ってということですね。
利用者さんがパニックになるということもよく聞きましたが、割と皆さん冷静だったんですね。避難訓練は今も2カ月に1回くらいのペースで続いていますか?
今は年に3回ですね。火災・地震・総合と1回ずつやっています。
現在も乾パンやタオルのような備えはありますか?
備蓄品という形で、備蓄水やアルファ米、ガスコンロ・ガスボンベなど、一通りそろっています。あとは、電力の問題があるので、ソーラーでの蓄電ができるシステムを入れました。全館分を賄うことはできないけど、事務室コンセント分とか、照明分とか、最低限の電力を確保している感じです。3日間はそれで一部分だけでも稼働できる体制になっています。
震災時に備えていたものの中で、これのおかげで助かったというものはなんでしょうか?
防寒のためのものが役立ちましたね。まさかあんなに雪が降るとは思わなかったんですけど、でもいつ起きるかわからないと思うと、準備がいりますね。食べ物は緊張で意外と空腹にならなかったし、ある程度は我慢もできるので。寒さはそうはいきませんからね。
今まで2年近く取材をしてきた中で、ここまで事前に準備ができていたパターンはなかったですね。当時の記録がきちんとまとまっているというのは、ほとんど見たことがないですね。
こちらには備蓄品のリストなどもあります。
これらのリストや対応記録などは、のちに職員さんで振り返ってまとめたんですか?
本部にまとめて報告を上げなければいけなかったので、当時の施設長や主任が情報をまとめました。当時の職員が研修事業としてまとめた資料もありますので、ご覧ください。
避難が完了して、以前の事業所が使えなくなったので、拠点を転々としながら、1か月は利用者さんに自宅待機をしてもらってその間に活動できる拠点を調整した記録なんかも載っていると思います。市民センターやコミュニティセンター、仙台市にも掛け合って、そこで許可いただいた場所に集まって日中活動できる場所を開けましょうというところで各ご家庭にもサービス再開のお知らせなどをしていました。仮の場所なので、数か月後には立ち退かないといけないところもあって、その間に八木山市民センターをお借りして、そこを改築してそこに1年半くらい。そして、その間に今の場所の用地を仙台市からお借りして、建物を建てて、こちらに引っ越して、という状況でした。久しぶりにこれを見ると…懐かしいな(笑)
資料の中に「BCPの策定」というのが見えたんですが、こちらも震災前からやってらしたんですか?
いや、これは震災後ですね。事業継続計画ということで、震災もあって、ここを休所なく利用していただくためにということと、福祉避難所としても他の地域の方を受け入れてっていうケースもあるので、そこも含めてできるようにっていうので各施設でやっているところですね。現在の常務理事にこれらの内容に明るい者がおりまして、施設ごとに準備をしています。
もし今後同じようなことがあった際に、これは必要だと思うものはありますか?
一番はやはり通信だったので、震災時でもつながる手段は強化しておいた方がいいと思いますね。また、何をするにも電力が必要になるので、そちらの準備も。あとすごく困ったのは、ガソリンとかですよね。電力・燃料というのすごく困ったので。例えばガソリンとかも、ストックしておけるものがあって、震災時にも優先して受けられるものを法人として契約しているガソリン業者もあります。
それは震災などをにらんでの準備ということですね。
そうですね。
それはBCPに入っているんですか。
いや、これは周辺環境・周辺地域の資源のピックアップといったところでしょうかね。
後は、張り紙をして掲示をしたもの、それに気づかない、分からないということがあったので、必ずここをチェックしてくださいというようなものの周知を徹底していく必要があると思いますね。あと、こぶしでやっているのが、震災時の対応の時にここで基本的に待つか、ご家庭が迎えに来るか、迎えに来るが難しいので、こぶしの体制が整えばご自宅に送ってほしいか、各ご家庭と確認をしていて、同じ書面をご家庭とこぶしで一部ずつ保管して、基本的には何か大災害があったときに書面をもとに行動を決めるという風にはしています。毎年の面談時に、内容の更新確認をしています。