写真:避難所となった浄念寺
お話:松田千絵さん(女性/当時40代/聴覚障害)写真:避難所となった浄念寺
お話:松田千絵さん(女性/当時40代/聴覚障害)3月13日に娘さんと再会された後にどのように行動されましたか?
娘と県営住宅に帰ろうと思ったのですが、会社の同僚に止められました。帰らない方がいいよ、近くの避難所に行った方がいいと。何でなのか自分ではわからなかったのですが、電気が止まったままで、水もガスも使えない、ご飯も食べられないということを同僚はわかっていたんです。聞こえるので、情報としてわかっていたんですね。「水、だめ」とかを身振り手振りで示してくれたので、それを見て理解することができました。私が聞こえないので、娘と二人だけでは心配だから避難所に行った方がいいと言われて、一緒に避難所まで付いてきてくれて、事情を説明したうえで紹介もしてくれました。避難所はお寺だったのですが、そこで娘と二人でしばらく生活していました。自分だけでは全く情報が入っていなかったので、電気やガスのことを教えてくれて避難所に行けたのは本当にホッとしました。
お寺にはどれくらいの期間いらしたのですか
だいたい1ヵ月半くらいですね。電気が復旧するまでですね。
食事はどんなものが出ましたか?
パンとかおにぎりですね。あ、それからカレーライスですね。本格的な、鶏肉が入ったやつ。それを食べた時は本当に一生懸命作ってくれたというのがよくわかったので、「満腹!」っていうくらい、美味しくいただきました。それでもまだ量があったようで、私には少し多すぎるくらいでした。他にもレタスのような野菜もたくさん届いたので、それも食べました。煮炊きをして何かを食べるというのは、頻繁にはできなかったので、毎日たくさんのサニーレタスをそのまま食べました。本堂の入り口近くにはお菓子や飲み物が置いてあって、それは自由に食べることができました。後は、新聞があったので、それを読んだりして過ごしていました。
お寺に避難されていた方は多かったですか?
だいたい100人くらいはいたと聞いています。トイレに行く時は、寝泊まりしていた本堂の入り口に置いてある懐中電灯を持っていきました。たくさんの人が隙間なく寝ているので、踏んでしまわないかという心配もあったんですけど、間を摺り足で歩いて行きました。
お寺に避難している間に一番困ったことは何だったでしょうか?
避難所に行ってすぐの頃なんですが、私が聞こえないということを周りの人がわからなくて、誤解があって。特に困ったのが朝なんですけど。「おはようございます」なんて声を掛けあう時に「無視された」と勘違いされたことがありました。おばちゃん二人から「若いくせに失礼な…」みたいな視線で見られていて、「なんでだろう、おかしいな…」と思って、隣にいたおばあちゃんに「あの人達に何か悪いことしたかなぁ」と聞いたら、「負けないで、強くいきなさい」ということを言われて、気づいたんです。私が聞こえないことを周りの人たちがわからないんじゃないのか、自分から伝えないといけないんじゃないかと思って、紙に「私、聞こえないんです。この前はあいさつに気づかずにすみませんでした」と書いて、次の日の朝におばちゃん二人に見せに行きました。そうしたらそのおばちゃん二人が「あぁそうだったんだ、聞こえると思ってた」というふうに言っていただいて、誤解が解けて笑いあえる仲になりました。その後、「あの人聞こえないんだって」ということを周囲の人にも伝えてくれて、私のことを呼ぶときはみんなが肩をトントンして呼んでくれるようになって、そのお二人には本当に助けられました。大事なのは、待ってるだけじゃなくて自分が聞こえないんだということを伝えていかないといけないな、と思いました。
良かったな、と印象に残っていることはありますか?
最初はすごく苦しかったという所があったんですが、聞こえないっていうことを伝えたら、スッキリしたというか、周りの皆さんとの交流もスムーズになって、本当にホッとしました。そこからは安心して生活が出来るようになりました。コミュニケーションはなかなか難しい部分もありましたけど、筆談とかでやりとりをしました。
着る物などはどうされていましたか?洗濯とかもなかなか難しかったと思うんですけど。
洗濯は水が使えなかったので無理でしたね。仕方がないのでずっとそのままでした。お風呂も無理ですし、髪の毛もゴワゴワしてきました。靴下がなくて裸足のまま逃げてきた人もいました。寒そうにしている人の様子も多く見ました。
他にも、携帯電話の充電ができない状況だったので、充電が一杯されている私の携帯を貸し借りしたり、発電機が来た3月の下旬からは、充電コードの貸し借りをして、みんなで充電していました。無くなると困るので、名前を書いて貼っておきました。
3月の末くらいには東京や大阪から支援物資がたくさん届いて、服なども届きました。「婦人服が届きました。希望がある方並んでください」っていうアナウンスがあったことを娘が知らせてくれて、近くにいたおばあちゃん達も「若い人に合う服が来たよ。一緒に並ぼう」と声を掛けてくれました。「アンタは若いから赤い服が似合うよ」っていっぱい勧めてくれました。自分の好みではなかったのですが(笑)それをもらって帰ってきました。他の人達も、苦しい現状を忘れて、あれが似合う、これが似合うなんて話をたくさんして、笑顔でいる様子が見られました。何かあった時に、お互い様っていう気持ちでやっていけたら気持ちも温かくなるものですね。