写真:紙漉き作業場
お話:社会福祉法人 洗心会 生活介護事業所 のぞみ福祉作業所
職員 森伸也さん
写真:紙漉き作業場
お話:社会福祉法人 洗心会 生活介護事業所 のぞみ福祉作業所
職員 森伸也さん
私も畠山も先のこと考えた時に、畑作業は冬があるのでずっと続けられないよねって、中でできる作業的なものがなければねって話をしている中で、たまたま現場の中から紙漉きはどうですか?っていう話が出て。
その流れで、「社会福祉法人 仙台市手をつなぐ育成会」の職員さんが訪ねて来てくださった時に、紙漉きやステンシルの道具一式をもらいました。紙漉き作業を進めている時に、さらに社会奉仕団体の「世田谷ライオンズクラブ」の方とお会いして、紙漉きの機械を入れていただきました。
次の町有地のプレハブには、寒くなる前の11月に移れました。入谷地区にあったのよりちょっと大きいんですよ。雨の日も入れるようになって、エアコンとかもつけて、これで冬越せるねって感じでホッとしました。
そうやって、やれることが広がっていく中ではあったけど、最初の2年か3年は、言い方悪いんですけど、お祭り状態っていうか、自分たちも整理できないまま日々過ぎて行く感じでした。
色々なことを、自分たちで決定していくタイミングも、もちろんありました。でも、みなさんが気にかけてくださる中で、自分たちで決めたっていうよりか、来て下さった方たちが決めたことが多いんじゃないかなって思う時があるんですよね。
本当にすごい方々と出会って、タイミング良くタイムリーに支援していただいたなって思います。その時は気づかなかったわけではないんですが。
利用者さんも同じく、私とか畠山を介して、いろんな方々が来て、気づいたら紙漉きの機械が入っているとかそういう感じだったと思います。モチベーション高くやっていたというよりか半ば強制的な感じで、やるぞ!って勢いよくやっていたというか。日々変化していく中で順応していくという感じだったと思います。
あと、最初いただいたステンシルの道具は誰がやっても同じくできるっていうものではなかったんですよ。マヒのある方は、押さえが必要で。そういうツールに関しては、自分たちで考えたりして、やり方を見てる中で工夫をしてました。
そういうこともあり、震災前に家の農作業のお手伝いするために休んだりしていた方が、震災後、紙漉きが始まっていろんなことが忙しくなると、お家の事情でお休みするのは全然問題ないのに、本人がすごいやる気になってくれて、「俺が休んだら仕事回らない」って自信を持ってやってくれていました。誇りを持ってやってくれてるんだなって思いました。