伊藤さんは、被災当日はワークショップひまわり(以下、ひまわり)にいらっしゃったのですか?
はい。
避難の際の指揮はどなたがとったのでしょうか?
職員です。ふれあいにも利用者さんがいたので、職員が送迎車に乗せて。ひまわりは絶対に大丈夫だと思ったのでここまで帰ってきて(ひまわりは標高約29mの所にある)。でも、若い職員が多かったので、津波というものは頭になかったんです。警報だといわれてもどれくらいの高さで、命が危険だなんて想像もできなくって。ちょうどずっと海の仕事をされていた事務長さんがいて、その方がこの海は津波がくるといって。それで山側の道を通って帰ろうということになったんです。その時、海側の道から帰ってきたら、きっと送迎車は流されていたと思います。なので、いろんな年齢層の職員がいてバランスが良かったんだと思います。その方のおかげで職員、利用者全員無事にひまわりに帰ってくることができました。
地震の揺れはどうでしたか?
今まで経験した事のないような揺れでした。事業所内にあった机やコピー機が走る凶器となりましたね。動くというより走る。利用者さんは泣き叫ぶし、机の下に隠れてと言っても全く動けない状態でした。地震があんなに怖いものとは思ってなくて。置いてあるもの全てが凶器になる。ロッカー、コピー機、机、すべてが走る、動くんじゃなくて走るんですよね。
地震直後、ひまわりには利用者さん、職員さんで何名くらいいたのでしょうか?
ここには女子が12名くらい、男子はふれあいの方にいました。職員は私と所長がひまわり、あとはふれあいにいました。
ライフラインはいかがでしたか?
地震直後から全てストップしました。
情報の取得はどうやって?
車のエンジンをかけてラジオを聴きました。そこである程度の被害状況は分かりました。ですが、ガソリンを大事にしないといけないということで、あまり聞きませんでした。所内にラジオもなく情報というものがなかなか入ってこなかったです。