織音:尚子さん

お話:特定非営利活動法人 輝くなかまチャレンジド 共生型福祉施設 織音(旧:こころ・さをり)
利用者 尚子(しょうこ)さん(女性/当時38歳・機能障害による両上肢体幹不自由)
職員 熊井さん(会話の補助としてお話に参加していただきました)

織物をしていました

「織音」での作業中に地震に見舞われた尚子(しょうこ)さん。

何を作っていたんですか?

尚子さん:自分のベストを作っていて、ちょうど終わったところでした。
ー怪我とかはなかったですか?

尚子さん:ないです。

熊井さん:地震のとき、尚子さんは階段のところにいました。施設のある部屋から出て、階段の付近を通って行った向こう側がトイレでした。

尚子さん:手を洗っているところでした。石鹸がついたまま、廊下に出たんです。

熊井さん:施設の部屋の中に居た人には、机の下に潜らせたりしました。地震が終わった後に、しょうこさんが居ないと気づきました。それで、ドアを開けたら、(同じ建物内の会社員の)女性の方と、階段のところにいました。それを見てヒヤッとしました。尚子さんが階段の付近に居て転落しなかったのは、その方と一緒だったからです。

医療支援が必要でした

尚子(しょうこ)さんが最初に不安になったのは、停電のため痰吸引器の電池が切れて、苦しくなるかもしれないということでした。

揺れが収まってからは、ご自宅に戻られたんですか?

尚子さん:いえ、(旧事業所から)近くの湊小学校に移動しました。そこに二晩泊まったあと、自衛隊の人に日赤病院(石巻赤十字病院)に連れて行ってもらいました。

病院にはどのくらいいましたか?

尚子さん:たぶん、10日くらいだと思います。

熊井さん:尚子さんには痰の吸引が必要でした。避難所になっている湊小学校にお話したところ、日赤に連れて行く手筈を整えてくれるということでした。そして、日曜日(3/13)に移動してもらいました。私たち職員は、移動したその日にすぐ、病院に連れて行かれるものだと信じきっていました。けれども実際は二日後に移動したという話をあとから聞きました。
 (小学校に居た2日間)小学校のすぐ隣には看護学校があったので、はじめは準看護師さんや看護学校の生徒さんに診てもらっていたそうです。その後、その方たちは日赤に招集されたので、ヘルパーをやっている方たちに支援してもらっていたということでした。

みんなと離れたくなかった

尚子(しょうこ)さんにとって「織音」や仲間の存在は、かけがえのないものでした。

熊井さん:私が病院に行って欲しいって言った時に、しょうこさんは行きたくなかったそうです。

尚子さん:うふふ(笑)

熊井さん:尚子さんは行きたくないって言ったのに対して、あたしは、いや行けって言いました。

尚子さん:うふふ(笑)

病院が嫌い?

熊井さん:いや、嫌いという意味ではないんです。病院に行ったら利用者のみんなと離れてしまうから、尚子さんは、「みんなとここに(事業所)居たい」と言ったんです。
今でも思います。今度なにかあったときに私は、みんなで一緒に居られるようにしたいと考えています。あの時、尚子さんに行けと言ったのは私ですから。何かあったら、みんなと一緒に居られるのが、一番安心ですから。(また災害が起きた時に備えて、自家発電できる装備を整えたそう)

ご近所さん

「織音」と尚子(しょうこ)さんの自宅が離れているため、同居の家族が尚子さんの様子を見に行くことは困難でした。

心配だったことはありますか?

尚子さん:家の人と、電話が繋がらなかったことです。

お話できたのは、何日後くらいだったんですか?

尚子さん:親が近所の人に、私が日赤(石巻赤十字病院)に運ばれたという話を聞いて、病院まで来てくれました。そこでちょっと話しました。

熊井さん:尚子さんのお宅は、地域に根ざして暮らしてらっしゃると思うんですね。
ご実家がお店をやってらして。
 尚子さんのお父さんとお母さんは、彼女の様子を見に来ることができませんでした。けれども、近所の方が自転車でうちの方までいらっしゃったんです(旧事業所があった、避難していたビル)。
私が水をもらう為に泥で足元が悪い中歩いていたとき、ちょうどその方にお会いしました。そこで、尚子さんの無事をその方に伝えられたんです。
 尚子さんのご自宅からうちの施設まで遠いのに。尚子さんの事を心配しているであろう、お父さんとお母さんの気持ちを汲んで、様子を見に来てくださったんですよね。ほんとに地域の方との関わりがあるんだなと思いました。

尚子さんのコレカラ

「織音」に来る前は外に出るのを嫌がり、人との関わりを避けてきたという尚子(しょうこ)さん。しかし震災を経験して、尚子さんは大きく成長したといいます。

震災のあと、前と変わったなと思うことはありましたか?

尚子さん:んー、それほど感じないですね。

熊井さん:彼女は以前、普通のOLさんでした。25歳で血管の病気を患って。それから10年ほど経って、こちら(事業所)に来られるようになったんです。
 「織音」に来る前の10年は、誰とも会いたくないという感じだったそうです。でも、お友達がやっぱり出たほうがいいって言って、うち(織音)をすごく薦めてくれたようでした。いやいやここに来たみたいですけどね。

外に出るって事はすごい決心ですよね。

熊井さん:そうですよね。
 この震災がきっかけで、いろんな方が彼女にインタビューをしに来てくださいました。それで、人との関わりにも強くなったようです。写真などに写ってもぜんぜん平気のようで、変わられたのかなと思います。
 尚子さんのお父さんとお母さんも歳をとられてきたので、彼女には自立を後押ししています。ショートステイできるようにするなどの一歩を、今、踏み出そうとしている状態です。

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